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イラクでTV放送された自衛隊CM(チャンネル桜が紹介した)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山田 朗/明治大学文学部教授 /名古屋高裁イラク派兵違憲判決の意義 08/07/11


名古屋高裁イラク派兵違憲判決の意義(1)

 

明治大学教授・山田 朗

2008年6月13日 映画人九条の会での講演

 

 皆さん今晩は。ご紹介をいただきました山田です。今日はタイトルのとおり、名古屋高裁でのイラク派兵違憲差止訴訟、イラク派兵差止訴訟についてお話をさせていただきます。

 

 私は、このイラク派兵差止訴訟の証人となったのは2回目なんです。最初は2006年に札幌地裁で、当時同じように陸上自衛隊の派遣差止訴訟というのがありまして、そこで証人を1回やっています。

 

 このイラク派兵差止訴訟というのは、実は全国で14訴訟行われているんですね。13ヵ所、14訴訟。大阪で2つ訴訟が行われているので13ヵ所、14訴訟なんだそうです。

 

 おおむね地裁レベルで、だいたい判決が出ているのが多いんですけれども、訴える利益がないということで、門前払いというのが多いですね。何で訴える利益がないのかというと、これは実は「平和的生存権」というのを認めるか否かというところが随分重要なところなんだそうです。つまり日本国憲法、特に第9条をもとに平和的生存権というものがある。平和に生きる権利というものがあって、それは基本的人権の一つなんだという、この論理をどこまで認めるかどうかということです。つまり、平和的生存権が脅かされている、だからそれに対して訴え、賠償せよという、これを認めるかどうかということなんですね。

 

 実はこの名古屋高裁の判決というのは、この平和的生存権というのは、具体的な権利であるということを認めたという点でも、極めて画期的な判決なんです。

 

 私も裁判のことは詳しくありませんけれども、よく裁判をテレビなんかで見ると、何かこう「不当判決」とか出すのがありますね。あれは「旗出し」というんだそうですけれど、その旗出しというのは、要するに前もって旗を作っておかなきゃいけないわけですね。ですから弁護団は何種類か、それこそ「不当判決」から「画期的判決」まで何種類か旗を作っておいて、それで判決を読み上げている最中に、もうこれでだいたい分かった、というところで法廷から飛び出して、それで外で固唾をのんで見守っている支援者に旗を出す。

 今回名古屋高裁の場合は、その旗が間に合わなかったと言いましょうか、旗は作っていたんです。「画期的判決」というのと、「違憲判決」というのはあったんですけれど、「平和的生存権を認める」という旗を作ってなかったそうです。

 

 つまりそれは、予想以上だったということなんですね。そこまで認めるというふうには、ひょっとして思ってなかったのかもしれません。ただ原告弁護団はあらかじめ判決当日の声明文をいくつか、何種類かやっぱり考えていて、どんぴしゃりの声明文の案文があった。あったというところを見ると、そこまで考えていた人もいたということなんです。ですから、考えられ得るいちばん良い判決が出たと。要するに裁判をやっている側としては、最も良い判決が出たという解釈です。

 

 しかし、そうは言っても原告側は敗訴じゃないかと。つまり国側が勝ったんですよね。国側が勝って、賠償請求は認められなかったわけです。それなのにどうして最良なのか。実はこれは私も裁判のことが疎くて、勝たないで何で最良なんだろうと思ったんですけれど、「いや、勝っちゃうと駄目なんですよ」というふうに言われたんです。

 

 なぜ勝っちゃうと駄目なのかというと、高裁段階で勝っても、最高裁に行くと必ずひっくり返されちゃう、今の状況ですと。今の最高裁の状況ですと必ずひっくり返されちゃうから、この違憲判決が確定しないんだと。必ずひっくり返されちゃうから、せっかくそういう判決が出ても、それが確定しないで、逆転されてしまう。ところが今回の判決は、国が勝訴になっている。違憲ですけれど、国が勝訴なんです。

 

 これはあとでお話ししますけれど、国側が勝訴したので、国側はいくら文句があっても最高裁に上告できないんだそうです、勝った側ですから。勝ったから上告できない。だから非常に国側にしてみると嫌な判決なんですね。違憲判決が出てしまった、しかし上告できない、という最も国側としては困った判決である。しかもこれは上告できませんから、結局これは判決として確定してしまったわけなんですね。

 今まで自衛隊をめぐる訴訟で、違憲判決が出たという例はあることはあるんです。これはあとで述べますけれど長沼ナイキ訴訟というので、札幌地裁で一度、これは自衛隊そのものが違憲だという、これはまた根本的な判決が出たことがあるんですけれど、結局、高裁段階でひっくり返ってしまいました。ですからこれは、判決としては確定しなかったわけです。

 

 ところが今回の場合は、自衛隊そのものが違憲という判決ではありませんけれども、イラク派遣というのが違憲であると。それから違法だというところがまた特徴なんですね。つまり、国が定めたイラク特措法に照らしてみても違法なんだという、こういう論理なんです。

 

今日の講演の目的は、判決の意義と、証言のポイント、そして判決をどう生かしていくか

 

 私の今日のお話は三つほど目的がありまして、これは何と言いましても、タイトルそのもの、その判決の意義というものを考えるということ。

 

 それから、私は今年の1月31日に証言をしたんです。で、その日のうちに結審したんです。ですから私は最後の証人になったんですね、この裁判の。それは囁かれていました。ひょっとしてこの証言が終わった段階で結審、つまり裁判が、審理が終わって、あとは判決だけという、そういう状態になるんじゃないかということは、囁かれていたんですけれども──。

 

 裁判の結審というのはどんなに劇的なものかというと、意外にあっさりとしたものです。実は原告側、つまり差し止めを訴えている側はですね、名古屋訴訟というのは原告の数だけで3,000人もいるというすごいマンモス訴訟なんですね。ですから、原告に一人ずつしゃべらせようと要求しているんですけれど、3,000人がしゃべったら大変なことになる。そもそも原告をどこに置くかということになってしまいますよね。いろいろと証人申請もたくさんしているわけですので、原告側が要求するままにやっていたら切りがない。永遠に裁判が続いちゃうようなことになっちゃうわけです。

 

 ですから私の証言が終わった段階で、裁判長が「あとの証人申請、その他すべて却下します」と、えらくあっさりというか、ズバッと全部却下し、「これでもう結審します」ということを宣言されまして。それは何かすごく事務的というか、ちょっとつっけんどんな感じに聞こえました。

 

 この青山裁判長という方は、何かちょっとそういう感じなんです。まったくのポーカーフェースで、しゃべっているのを聞くと、何かすごくこう事務的でしてね。ただ、すごく熱心に話を聞いてくれている、というのはわかるわけです。青山裁判長はもうこの裁判を最後に退職されまして、それだからこういう判決が出たんだと言う人も結構多いですね。現在では名古屋の名城大学の法科大学院の教授になられています。法曹関係者を養成する、そういう仕事を続けておられるんですね。

 

 私も裁判というのは本当によくわからなくて、ただ弁護士の方に聞くと、これは裁判体というんだそうですけれど、要するに裁判長と右陪席、左陪席という3人の裁判官が合議して判決を決めるわけです。この3人がどういう組み合わせであるかというのが大事なんだそうです、非常に。で、青山裁判長は過去にいろいろなユニークな判決を出した経験もある。それから右陪席、左陪席も非常にこの件については熱心であるということで、期待が持てるということは、ちょっと聞いたんですね。

 ところが期待が持てるから良い判決が出るかというと、これまたなかなかそうではなくて、実は私、札幌地裁で証言したときに、これは名古屋とはうって変わって裁判長がすごくソフトな方で、何かこう、こちらが証言すると一つひとつうなずいてくれて、それですごく熱心にメモを取って聞いてくれているように見えたんですね。「これは良い判決が出るんじゃないかな」と思ったら門前払いでした(笑)。これはもうまったく駄目だったんですね。ちょっとその話はあとでします。

 

 1月31日の証言のポイントということと、それからこういう判決が出て、実は全国でまだこの差止訴訟はいっぱい続いているんですが、ここでちょっと局面が変わりました。

 

と言いますのは、従来、国側はこの裁判に対してまったく関知せずという態度でした。関知せずというのは、要するに裁判で内容を争うと、結局、情報を出さないといけないわけです。

 

 つまり原告側、訴えている側は、自衛隊というのは実質上戦争に加担しているんだ、戦争に加担することは憲法違反なんだ、とこういう主張をしているわけですね。それに対して国側が、「いやいや、加担をしてないよ」というふうに具体的な内容を、証拠をもって出そうとすると、次から次へと自衛隊がやっていることを明らかにしないといけないんですね。実はこの明らかにさせるというところが、この裁判の一つの目的でもあるんです。だから国側は一切証拠も出しませんし、反論もしないということなんです。普通、証人が、例えば私が原告側証人として出て、「自衛隊はもう戦争に加担してるんですよ」というようなことを言ったら、「いや、違う」「反対尋問します」ということになるはずなんですね。ところが一切しない。

 実は札幌地裁のときは、なぜか国側の弁護団が「反対尋問します」と言って日にちまで決めたんです。日にちまで決めて──。裁判の日程って、どうやって決めるのかそのとき初めて知ったんですけど、法廷でみんなで手帳を出し合って、「証人はいつ頃がいいですか」と聞かれて、「いつだったら空いています」「法廷もいつだったら空いてるから、じゃあ、この日にしましょうか」という、えらく何かこう、あっさりとした決め方でした。

 

 いったん決めたんです、反対尋問、国側の反対尋問あり。こちらも相当緊張しますね。何を反対尋問してくるのかということなんですが、実はあとから取り消してきまして、反対尋問はやっぱりしないと。今回も反対尋問は一切ありませんでした。ですから、ある意味でこっちが言いたいことを言っただけということですね。

 

 国側としてはとにかく早く終わらせろ、こんなのは訴えの利益はないんだという、こういう姿勢ですから、内容について争わない。内容について争わないということは、何の証拠も出さないということですね。それが、国側のずっと一貫した姿勢なんです。内容を争うんじゃなくて、そもそもこんな裁判やることがナンセンスなんだという、こういう姿勢なんです。

 

 そういう状態をこの名古屋高裁の判決は、国側にとっても何か対応せざるを得ないんじゃないかという気持ちにさせているみたいで、このあとどうなるのかというのはちょっと注目されます。このあと、9月に岡山地裁で裁判があるんですね。それにも私、証人として行くんですけれど、今度は国側は反対尋問をしてくるんじゃないかというふうに思っています。何にもやらないわけには多分いかなくなってくる。

 

 つまり逆に言うと、国側としては合憲判決を出させたいということになるわけです。イラク派遣は合憲だし、違法でもないんだということを、何らかの形で訴えないと、これはちょっと国側としてもまずいということなんだろうと思います。

 ですから私たちは、それに対してどう対策を立てていくか、これから名古屋高裁判決をどう生かしてこの問題を考えていくか、ということなんです。それを最後にお話ししたいと思います。

 

 

名古屋高裁違憲判決の意義の1

〈平和的生存権〉の具体的権利性を認めたこと

 

 

 名古屋高裁──。高裁で判決が出たということは、当然名古屋地裁ですでに1回判決が出ているということですが、これは門前払いです(笑)。名古屋地裁の判決はまったく門前払いで、実質審議はまったくなし。内容に踏み込んだ検討は一切なしで、いきなり結審して、門前払いという、これは最悪の判決です。

 

 この名古屋高裁の違憲判決と言いますのは、先ほど言いましたように、これは多分、法学なんかを専門にやっている人にとっては、ここをいちばん強調したい点だと思うんですけど、つまり平和的生存権の具体的権利性を認めたことです。

 平和的生存権というのは、その漠然としたものとしてはあるということは、わりと認められているんですけど、これをもとにして具体的な請求だとか訴訟だとかということができるのかどうかというのがポイントで、これがみんな門前払いだったんですね。

 

 人権としてはそういうものがあったとしても、それは具体的な何か権利性というか、平和的生存権が脅かされているから賠償しろとか、そういうようなそこまで具体的なものじゃないんだというのが、だいたい裁判所が出してきた意見、判決なんですね。

 

 ところが、今日の集いには判決全文も付いておりますので、ご覧いただければ分かるんですが、平和的生存権というのはすべての基本的人権の基礎にあって、その共有を可能ならしめる基底的権利である。基本的人権の中のさらに根本的なものなんだ、というふうに位置付けているんですね。ですから、これは非常に重い位置付け方です。

 

 重い位置付け方であると同時に、憲法9条違反行為──つまり戦争ですね──や、その遂行への加担・協力への強制、つまり国民を戦争に動員するとか、戦争に加担させることを強制するというようなことがあった場合、裁判所に対し差止請求、損害賠償請求等の方法により救済を求めることができるんだというふうに言っているんですね。これは非常に画期的だというふうによく言われます。つまりこれを具体的に、平和的生存権に基づいて賠償請求をするということはできるんだと言っているんです。

 

 しかしできるんだけどれも、今回賠償は認めないというのが、実は主文なんですね。これはなかなか難しくて、要するに平和的生存権が脅かされているから賠償を請求するというのは、その原告たちにとって本当に切迫しているのかどうかということがポイントで、まさに自分の平和的生存権がもうひしひしと脅かされている、だから賠償を払えというところまでは今回はまだ行っていない、というのがどうもこの判決で、だから賠償は認めないということなんです。

 

 ただ、その賠償請求をするということは、これは認められることなんだという、そういう言い方です。ですから、これはこのあとにつなぐことができる。つまりこの高裁判決を使って、この高裁判決はもう確定しているわけですから、これを使って、これに基づいて賠償請求があり得るんですね。こういう道筋を示したということで、多分こういう自衛隊絡みの訴訟をやっている人たちにとっては、たいへん大きな勇気を与えた判決で、門前払い判決が出しにくくなったことはもう間違いないですね。

 

 つまり高裁で、これは具体的な権利なんだと、賠償請求は行っても良いのだということを判決で出して、しかも確定してしまっていますから、そういう点では今後に非常に大きくつながる判決であろうと思います。

 

 

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